第三章  りうまちっく介護福祉士 養護学校の先生になる の巻

 

 プロフィールや第一章、第二章を読んでいただいた方はある程度ご存知かと思いますが、簡単に自己紹介を・・・。

私「おっきぃ」は2000年2月22歳の時に関節リウマチを発症し、その後ほぼ1年くらいで現在に近い寛解状態になり今に至っています。

リウマチになったばかりの人やその周りの人は、きっと今、不安や悩みでいっぱいの人もいることでしょう。
本やインターネットではどちらかといえば悲観的な情報の方が目に付き、「これから先どうなるんだろう」と思っている方もいるかもしれません。
実際、私もそうでしたから・・・。

ここから先は、私がリウマチになってからの話。
同じリウマチといってもその症状や経過には個人差が大きく一概には言えないのですが、少しでも明るく考えるきっかけになれば・・・と思います。


大学卒業と同時に体が急に痛み出し、関節リウマチだと診断された当初の私は、毎日家族に八つ当たりし、泣いてばかりの日々でした。
自分の目には悲観的な情報しか入ってこなくて、それがますます「悲劇のヒロイン」に追い討ちをかけていました。
でも、そのときに支えてくれたのも、友達や家族でした。
患者本人ほどの理解とまでは行かなくても、私の出来ないことやつらいことを汲み取って、助けてくれました。
そのことについてはおいおい話すとして・・・。

実際自分が不自由で痛い思いをして、改めて福祉について興味を持ちました。
このサイトの別館「鹿児島のトイレ情報」のサイトを充実させようと思ったのも、リウマチになったのがきっかけでした。
もともと、介護の仕事に興味のあった私は、病状が落ち着いて、何とか出来そうなアルバイトをしながら、インターネットなどで福祉系の学校についていろいろ調べてみました。
だめもとは承知の上で、「介護福祉士」の資格を取ろうと思ったのです。

元々、私は福祉系の高校に進学し介護福祉士として老人施設で働くのが夢でした。
両親の希望により、なぜか教育系の大学に進んでしまいましたが・・・。

今、自分がこんなに不自由でこんなに痛い思いをした経験を、何かの形で活かしたい!
幸いにも、病状は言わなければ分からないくらい落ち着いているし・・・。

さすがに普通の専門学校は学費が高く、あきらめかけた頃に通信教育で唯一介護福祉士の国家試験受験資格を取れるのが、NHK学園だと知り、受験(といっても作文だけれど)し入学しました。

通信教育の学校なので、アルバイトと並行してできるのが強みでした。ただ、実技に関しては自分で飛び込んで施設等に行かなければならないのですが。
2年次に介護実習があり、そのときの実習先の施設にアルバイトとして入れていただき、リハビリセンターのリハビリアシスタントとして半年ちょっと仕事をしました。
施設には脳卒中の後遺症をはじめさまざまな病気や障害をもつ方がいらして、施設のスタッフからも利用者からもかわいがっていただきました。
仕事としては回りに迷惑かけてばかりだったと思うのですが、同じリウマチの利用者の方や、その他の障害などの方のつらい、しんどいなどの気持ちを横にいて心から聞き、痛みもいっしょに理解してあげられたのは、やはり自分も同じような経験をしたからだと思っています。


無事通信教育の学校も卒業し、そして、介護福祉士の国家試験にも何とか1回で合格し、長年の(?)夢だった介護福祉士の資格を取得することが出来ました。
その合格通知とほぼ同時に今の勤務校から「臨時採用でうちの学校に来てもらう予定」との電話を頂きました。

とりあえず落ち着いてから、バイトでお世話になった施設に合格と、次の仕事の報告に伺いました。
職員も、親しくしてくださった利用者の方たちも「よかったねぇ、がんばんなさいよ」とエールを送ってくださいました。



そして、4月から、養護学校での教員としての生活が始まりました。

養護学校といってもいくつかタイプがあるのですが、私のいる学校は主に肢体不自由の子どもたちの学校です。
それまでの勉強で高齢者の病気や障害についてはある程度勉強していたものの、子どもの方はまだまだ勉強不足でいまだにわからないところも多いのですが、車椅子の操作や声かけなど介護福祉士の勉強で学んだことも充分役に立っていると思います。
学年は小学3年生。重度重複の子どもたちのクラスです。
一番軽い子でも体重は10キロあります。そういう子達を毎日抱えたり、車椅子の乗せ降ろしをしたりしています。


リウマチになったばかりの頃、主治医から「小学校の先生はあきらめた方がいいんじゃないかな、せっかく大学で心理学を学んだのだから、院に進むなどして臨床心理士などを目指したら」のようなことを言われました。私が持っているのが小学校と養護学校の教員免許。どちらも当然ハードワークです。リウマチ発症当初は、自分でドアを開けることも出来ず、ペンをもつことどころか本のページをめくることすら痛くて不自由でつらかったくらいなので、主治医のその言葉はもっともだと思いました。「そうか、私には教職は無理なんだ」と。


そんな私が、そのハードワークな学校の先生を、それも養護学校の先生として、1年間働くことになったわけです。
主治医は知りません・・・って言うか言っても何も言われないとは思いますが(^^;

介護福祉士の資格を取る、といった時も、養護学校の先生をするかも、といった時も一番に心配してくれたのは同じリウマチの仲間でした。
「無理はしないでね」と。

今のところ、自分の力を超える無理はしなくてもやっていけそうです。
今の職場で、私のリウマチのことを知っている人は少ないのですが。心配掛けたくないし・・・どうしてもきついようならそのときにまた考えるつもりでいます。

そんな感じで、私の慣れない「養護学校の先生」としての生活は、まだ始まったばかりです。
そのうち、続きを書くことでしょう。まぁ、気長にまってみてください・・・。

 

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