第一章  私の”ボーダーライン”

 

 就職を目前にした22歳の冬に、私は「慢性関節リウマチ」になりました。
 リウマチだとわかる(診断される)までと、治療をはじめてからの1ヶ月の間は、手や足の指、肩や膝など体中のあちこちの関節が腫れ上がり、涙が出るほど痛くて、何もできない日々が続きました。

 リウマチに関して何も知らなかったわたしが、即席で集めた情報のほとんどは、悲観的、否定的にならざるをえないものでした。

 「根本的な治療薬のない、”治らない”病気」、「たいていの人はそのままの状態か、悪化していく一途をたどる」、「病状が悪化した場合、関節が破壊され元には戻らなくなる」・・・。

 毎日のように続くひどい痛みの中で、それらの言葉はとても現実味を持っていて、 私を不安にさせていきました。

 

 そのときに見えたもの。それが、”健常者”と”障害者”の間にある境界線でした。いまの私は、そのどちらでもない。私は、その境界線の上にたっている・・・。

 例えば、バスに乗ったとき。私は、手の関節が腫れていて、つり革をつかむことができない。でも、この若さで「すみません、席を譲ってください」なんていえない。もし、明らかに人が見てわかる障害(車椅子だったり、松葉杖をついていたり)であれば、席を自ら譲ろうと思う人もいると思う。けれど、私の場合、ぱっと見てはまったく分からない。多分「手が腫れてとても痛いんです」と言って見てもらってやっとだと思う。

 結局そのとき私は、手を使わず、つかまり棒にひじを掛けて、必死に体を支えることで何とかしのいだけれど・・・。
もしかしたら、私は今まで同じような病気(障害)の人に気付かずにいたのでは?・・・そう気付きました。

 それからは、比較的体調のいい日には極力外出するように心がけました。考え方も、180度変わりました。「今、私は健常者と障害者の境界線にいる。今、この時にいろいろ見ておかなければ、きっと後悔する・・・。」もともと楽観的、プラス思考だったこともあり、この考えはすぐ定着しました。

 

 そして、今、リウマチになって半年経つかたたないか・・・、今の私にはもう一つのボーダーラインが見えます。それが、”大人”と”子ども”の境界線。こういうと、ちょっと表現が違うかもしれませんが・・・。言い換えれば”強さ”と”弱さ”の境界線、といった感じです。

 よくおじゃまするリウマチのHPで、たまに掲示板などに書き込みをしていると、メールが来たりします。私が、特に自分が「リウマチかも」と病院に行ったころの症状に似ている人が不安になっているのを見るといてもたってもいられなくて「少しでも早く病院に行って診断してもらったほうがいいですよ」などとアドバイスしたり。
 半年前どころか今もリウマチビギナーの私が、先輩面してアドバイスなんかしているんだから、自分でもびっくり。

 その中で感じたことが、リウマチって「がんばり屋さんの病気」なんじゃないかなぁ、ってことでした。このことには、別の章で詳しく触れたいと思います。

 

 リウマチになって、はじめのころは、悲観的な未来しか見えなくて取り乱したり、八つ当たりしたり、ボロボロ泣いたり、急に開き直ったり・・・周りに迷惑をかけてばかりでした。最も、今も迷惑かけどおしなのですが・・・(^^;

 でも、今の私がここまで前向きになれたのは、家族や友達の理解、そして、同じリウマチでがんばっているたくさんの人たちがあるおかげです。
 周りの人たちがボロボロな私の泣き言を聞いてくれたから、今の私はこうして笑っていられる。今、私が笑顔でいられるのはみんなのおかげだから、この気持ちを、できることなら倍にして、みんなに返してあげたい。

 

 今も、私は相変わらず境界線の上にいます。境界線の上からしか見えない景色があります。境界線の上は、どちらの世界もとてもよく見通せます。
 私は、今、境界線の上から見える景色を忘れないうちに残したいと思い、 自分なりに考えた結果、このエッセイのような形のものになりました。

 更新も気ままで、エッセイなだけに私の主観的な内容ですが、皆さんにも、少しでもこの境界線からの景色を見せることができたら・・・と思っています。

 

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